2017年12月07日

オレンジリボンたすきリレー2017


11月18日(土)は、「オレンジリボンたすきリレー2017」に参加し、自宅近くの児童福祉施設から、米子市淀江町の保育園までの14キロほどを走ってきました。
えっ、「オレンジリボンたすきリレーって何か?」ですって。
その答えは、「子ども虐待防止の象徴であるオレンジリボンのたすきを掛け、駅伝方式でこれを走りつなぎ、子ども虐待防止を呼びかけるイベント」です。なおこのリレーは、11月が児童虐待防止推進月間であることから、この期間に全国各地で行なわれているようです。
ちなみに、私がこれに初めて参加したしたのは2014年のこと。米子児童相談所と県西部9市町村の主催でこれが行なわれた際に、役場の担当者からの依頼で走りました。それ以来なので、3年ぶり2回目の参加になります。

背中.jpg

当日はあいにくの雨模様。早朝、町の担当者から私のケイタイに、「今日は雨のためにリレーは中止になりました。でも、開会式だけはしますので、よろしければ会場へ来てもらえませんか?」との連絡がありました。
結構寒そうな天候だったので、正直言って中止は“願ったりかなったり”。「わかりました」と返事をし、一応、開会式の盛り上げだけは協力しようと、当初の予定通りタイガーマスクに変身し、会場へ出かけました。
お茶目な町の教育長さんは、自作したカラス天狗の衣装で登場。35歳の若い町長さんは、カラス天狗とタイガーマスクとのスリーショット写真に納まるときに、「スッピンで来た方が恥ずかしい。来年はコスプレを考えなければ」と焦っていました。

スリーショット.jpg

さて開会式が始まると、まずは町長さんのご挨拶。最後のくだりに、「皆さん、ぜひ完走してください」とおっしゃっいました。「えっ、ランは中止のはずなのに?」と、ちょっと戸惑う私。さらに担当の方が、「今日はあいにくの天候ですが、皆さん頑張って走ってください」と・・・ウグッ。
記念写真に納まりながら、「どういうこと?」と内心、かなり動揺していた私ですが、どうやらリレーはあるらしいということはわかりました。
なんと私が会場に着くまでに、一旦決まっていた中止の判断は撤回され、決行することになったそうです。ガヒーン、やられたぁ!

開会式.jpg

ということで、リレーはスタート。
この時点では雨は小康状態で、無難なスタートとなりました。

スタート.jpg

そしてまずは、2キロほど進んだところにあるN保育園で、園児の歓迎を受けます。実は自走しないでこっそり車で移動していた教育長さん扮するカラス天狗は、どこへ行ってもタイガーマスクをしのぐ人気ぶり。これには内心、ちょっとだけ嫉妬するタイガーでありました。ガオ〜、くやちい!

さくらの丘保育園.jpg

さてランナーは本来、途中に4カ所ある中継所で交替することになっているのですが、「どうせなら長い距離が走りたい」という私と、顔なじみでもある3人の屈強なトライアスリートたちは、自らの希望で全ルートを走ることにしていました。
しかし、保育園を出てすぐに、雨足が急に強まります。私は、持っていたビニールポンチョを取り出し、防衛に努めます。それにしても、「さっ、寒い・・・」。

雨がきつくなる.jpg

こんな中、役場の人など裏方のスタッフさんは、要所要所で車を降りてコース誘導をしながら声援を送ってくれました。ありがたいことです。

役場のスタッフ.jpg

大山口駅前を通過するとき、雨も小降りになり元気を取り戻したタイガーは、「児童虐待は許さんぞ、ガオ〜!」と雄叫びを上げようとしましたが、沿道に人っ子一人いなかったので、やめておきました。

大山口駅前で吠えるタイガー.jpg

この後に立ち寄ったD保育園でも、私には不気味に見えるカラス天狗が、相変わらず園児の人気を独り占め。それに引き換え、どうやらタイガーは一部の園児には怖がられるようです。遅ればせながら私は「ゴロニャーン」と媚を売るようにしたものの、中には泣き出して園舎の奥へ隠れてしまう児童もありました。これって、もしかしたら児童虐待にあたるかも(汗)。

D保育園で.jpg

この後、雨はすっかり上がり、われら崇高な使命を持ったオレンジリボンのメンバーたちは、晩秋の気配がただようコースを、軽快に走り続けたのでありました。

晩秋の風景.jpg

そして、リレーの一応の終着点であるY保育園へ到着し、園児に愛想を振りまいた後で全員が車に乗り込み、市街地にあるガード下へ向かいます。
ここには、この日各地でこのリレーを走ってきたたくさんのランナーが集結していました。

ガード下.jpg

私はこの後の次第をよく分かっていなかったのですが、ここから300メートルほど先にある児童相談所に特設されたゴールゲートへ、一斉になだれ込んでいくことになっていたのです。中には仮装したランナーもおり、賑やかなフィナーレとなりました。

レンジャー.jpg

こうして、日頃まったく世のため人のために役立っていない私たちランナーはこの日、児童虐待防止に一役も二役も買ったのです。どや顔で胸を張り、「ガオ、ガオッ、ガオ〜ッ!」と空に向かって雄叫びを上げる私は、そのとき間違いなく、正義の味方タイガーマスクになり切っていたのであります。

ゴールゲート.jpg



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posted by との at 21:39| 鳥取 ☔| Comment(0) | 非日常的な日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

瀬戸内行脚(その3)


伯方・大島大橋を渡って大島へ入ってからは、しだいにピッチを上げていきます。往路では、上りも下りも手こずった斜度10%の坂道を、勢いよく駆け上がり、そして駆け下りていきました。

上り坂.jpg

もうコースミスは許されません。このあとしばらくは往路を逆にたどるだけですが、来島海峡大橋を渡り四国へ入ったところでは、往路と異なり、西側の海岸線に沿って走ることになります。「そこで絶対にコースを間違えることのないよう、気をつけて行かなければ」と、このとき考えていました。
しかしいま振り返ると、「そこまでは間違えるはずがない」という油断が、心のどこかにあったに違いありません。
往路でコースミスをしたバラ園のところで左折し、さらに数百メートル進んだところでもう一度左折しました。しかし、これが大きなミス。その時は、ここを少し進んだところにある交差点を右折して、大きな道路へ入って南進するものと思い込んでいました。コースはしだいに上り勾配になってきましたが、脚に掛かる負荷を心地よく感じながら、さらにピッチを上げていく私でした。
「それにしても、おかしい。さっき左折した交差点からかなり来ているのに、まだ右折するはずの交差点が見えないのは、なんだかおかしい」・・・そう思いはじめたころ、路傍に地図表示があったので、これを覗き込んで現在地を確認しました。すると、なんと全くの勘違い。しばらく前の交差点で左折するのではなく、そこを右折して南進しなければいかなかったのです。
間違えてから、すでに2キロ以上来ていました。踵を返し、焦りにも後押しされながら、全力疾走で、方角を間違えていた交差点へ帰ってきました。この間のロスは約40分。それまでの2回の道迷いと違い、地図を確認してさえいれば間違えようがない、いわば「思い込み」による自滅的なミス。情けなさも加わり、ショックに打ちのめされた私です。
そして、ようやく来島海峡大橋が見えたころには、朝方の好調な走りはすっかり影を潜め、身心共に疲れ果てたランナーに成り下がっていました。

来島海峡大橋(帰路).jpg

5キロほどある大橋では、ほとんど走ることができませんでした。いや、この間も気持ちは走っているのですが、体がついていきません。歩いている人のペースと、さほど違わないくらいのスピードしか出ていなかったのです。
そんなとき、一人のランナーがすごい勢いで私を抜いていきました。この位置にいてあのスピードで走るのは、たぶん私より2時間もしくは5時間後にレイトスタートしたランナーなのでしょう。私はその背中を呆然と見送っていました。

抜いて行くランナー.jpg

来島海峡大橋を渡り切ったところにある173キロ地点の糸山公園エイドへの到着が、午前10時55分。ビリから2番目の到着でした。

エイド.jpg

カップ麺を食べたりしてゆっくり休憩しているうちに、最終ランナーも入ってきました。ほぼ同時にここを出ましたが、このあとのコースに自信のなかった私は、ナンバーカードに「愛媛県」とあったこのランナーに、付いて行くことにしました。彼は、昨年も参加したものの、途中リタイアしたためこのあたりは通っていないとのこと。それでも地元ランナーなので、とても頼りになりました。彼がいなかったら、このあと海岸線に出るまでの街中の分かりにくい部分をまったく間違えずに行くことは、難しかったと思います。

愛媛のランナー.jpg 

しかし、海岸線が見えてくるころには彼のペースに付いて行けなくなり、本当に最後のランナーになってしまいました。走る力はすでになく、走る格好はしていても、歩きのペースと変わりません。
『松山 42Km』の道路標識を見たのが午後1時50分。制限時間は38時間なので、午後9時。しかし要項には「2時間延長可能」とあり、実質的には午11時まではゴールが設置されているはずです。フル1本の距離を残り9時間なら、ゆっくりでも走ってさえいれば間に合います。しかし、ほぼ歩きになっているこの時の状態では、時間内のゴールは微妙。それに主催者が、「会場のキャパで定員を決めている」というほど重視している懇親会は、午後9時にオーダーストップで、午後10時終了の予定と聞いています。これにぜひ出たかった私は、自分の中で午後7時をゴール関門に設定していました。「無理にゴールを目指さなくても、早めにリタイアして懇親会へ行った方がいいじゃないか」といいう魅惑的なささやきが、どこからか聞こえてきます。

松山42キロ.jpg

そんなとき、私の脇を「さくら道国際ネイチャーラン」の参加賞であるピンク色のキャップを冠ったランナーが、早歩きですり抜けていきました。この日の午前7時に今治からスタートし、瀬戸内行脚の約半分の100キロを走る「伊予灘行脚」に参加しているランナーの一人です。しばらくこれに付き、話をしながら進みました。
この人が、ウルトラランナーの間で名高いOさんだったことは後で知ったのですが、彼は、「最近は腰が痛く、222キロの瀬戸内行脚は無理だと思ったので、伊予灘行脚にした。もう走れないが、ここで諦めたら絶対に後悔すると思うので、なんとかゴールにたどり着きたい」と言っていました。お年を聞いたら、私より10歳上とのこと。「この人がこんなに頑張っているのだから、私もやはりゴールを目指そう」と思ったものです。
しかし、Oさんの歩きのスピードはかなり早く、時々走りを入れながら頑張りましたが、少し気を抜いた間に引き離されてしまいました。

Oさん.jpg

すでに全身の力をすべて使い果たし、歩くのさえつらい状態でしたが、その原因は単に“トレーニング不足”の一言に尽きます。それは初めから分かっていたはずなのに、「なんとかなるさ」と思い込もうとしていました。しかし、自分の頭はごまかせても、鍛えていない脚を騙すことはできなかったのです。
「罰だ!」・・・とつぶやき、足の裏を地面に叩き付けるようにして、また走りはじめました。一歩踏み出すごとにしびれるような痛みを感じましたが、「罰だ、罰だ、罰だ・・・」と自分に向かって罵りの言葉を投げつけながら走り続けます。そのうちに脚全体が麻痺していくような感覚になってきて、気がつけばいつの間にか、とぼとぼと歩いている自分がいました。
瀬戸内海に夕陽が沈む直前の午後5時前、『松山 28Km』の標識が目に入りました。この14キロを進むのに3時間も要しています。同じペースでも、ゴールまでまだ6時間もかかります。しだいに速度が落ちてきていることを考えれば、延長されたゴール関門の午後11時さえ危ういところです。それにそもそも、あと6時間歩ける体力と気力がもはやなく、6キロ先にある200キロ地点のエイド「道の駅ふわり」でリタイアすることを決めました。

松山28キロ.jpg

そして、午後6時47分にこのエイドへ到着した私は、少し遅れてここへ入り同じようにリタイアを宣言した伊予灘行脚のランナー2人とともに、ゴール地点へ車で送ってもらいました。エイドでは、座っていたパイプ椅子から自力で立ち上がることができず、スタッフとランナーの肩を借りてようやく車に乗り込むという、情けない私でありました。

エイド(200キロ地点).jpg

その後、ホテルで汗を流してから懇親会場へ行きました。貸し切られた居酒屋は、60人ほどのランナーとスタッフでごった返しており、完走者へ一人ひとり完走証が渡されているところでした。完走者の中には、180キロ地点あたりで私を追い抜いていったOさんもいました。私には見習うことができなかったその根性には、心から感服します。

居酒屋.jpg

そして今さらながら、「超ウルトラは、気持ちだけでは走れない」という当たり前の事実を思い知らされました。出直しです。一から出直しです。


(私の記録)

タイム 200キロ地点でリタイア(35時間47分・自己計測)
順 位 未公表
完走率 未公表






「その1」へ戻る → http://t-tono.seesaa.net/article/454912172.html
「その2」へ戻る → http://t-tono.seesaa.net/article/455001121.html



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ラベル:超ウルトラ
posted by との at 14:03| 鳥取 ☁| Comment(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする