2016年05月23日

名和マラソンフェスタ2016


5月22日(日)は、地元の大山町で開催された「名和マラソンフェスタ2016」でハーフを走りました。2年振り9回目の参加です。

この大会には、ひょんなはずみからパンダの着ぐるみで出走してしまったことがあります。以来、仮装が病み付きになり、近年はいつも仮装。さらに、走り仲間もこれに誘い込むという悪い私です。

ということで今回のメンバーは、写真左から順に・・・。
猫娘=キャンディーまみちゃん:10キロ
タイガーマスク=との:ハーフ
かわいい人魚=やまもとさん:ハーフ
トリピー=ナース昌子さん:ハーフ

一反木綿=ナンバ師匠:10キロ


仮装仲間と.jpg

なお、われらのグループにはもう一人、K女史もいますが、今回は記録をねらってスッピンでの参加でありました。


それにしても「類は友を呼ぶ」ということなのでしょう。この大会でも増えてきた仮装ランナーさんたちが、タイガーマスクに扮した私へ、「一緒に写真いいですか?」と次々と声をかけてこられます。もちろん大歓迎。あちこちで記念写真におさまる私です。


[タイガーと麦わら帽子のウサギさんとルイージさん]
類は類を呼ぶ.jpg

ハーフの部のスタートは、午前10時30分。1500メートルの日本女子記録保持者である小林祐梨子さんのハイタッチを受け、名和スポーツランドのトラックからロードへと走り出していきました。


スタート直後に小林祐梨子さんとハイタッチ.jpg

4キロほど進んだところで、名和川にかかるJRの鉄橋をくぐります。山陰線の鉄道は、明治35年に初めて境港駅から我が町の御来屋駅間が開通しています。その時に建設された「イギリス式」といわれるレンガの橋脚の下を、歴史を感じながら通り抜け、海沿いの道路へと進んでいきました。

[名和川にかかる鉄橋の下を抜ける(10時50分・約4キロ地点)]
名和川にかかる鉄橋の下を抜ける(10時50分・約4キロ地点).jpg

ここから1.5キロほど西へ走ったところが第1折り返し地点です。東へ踵を返してからは、爽やかな向かい風。この日の気温は25度と高く、タイガーのマスクの中は、スタート直後から熱気と湿気で釜ゆで状態になりかけていましたが、潮風でクールダウンすることができました。

[第1折り返し地点(10時59分・約5.5キロ地点)]
第1折り返し地点(10時59分・約5.5キロ地点).jpg

御来屋街道に入ると、応援も少し多くなります。ときおり「タイガーマスク頑張れ!」の声援もあり、なんだか嬉しくなりました。

[御来屋街道(11時11分・約8キロ地点)]
御来屋街道(11時11分・約8キロ地点).jpg

さて、タイガーマスクの私は、沿道で小さな子どもの姿を見つけるたびに、いたずら心が起き、その目の前に行っては両手を広げ、「ガオー!」と叫んだのです。
これには、驚いたように「ワー!」と言って逃げる子どもや、突然のことに言葉も出ず、目を丸くして固まってしまう子ども・・・。その様子がおかしくて、さらに調子に乗ってこれを繰り返す私でした。それにしても、なんて悪いやつなんでしょう。
そういえば、悪役レスラーの養成機関である「虎の穴」から出たばかりの頃のタイガーマスクは、もちろん悪役でした。10日間の入院生活を終え、3日前に娑婆に帰ったばかりの私めが悪役なのは、むしろ必定というべきなのであります。


♪あたたかい人の情けも 胸を打つ熱い涙も
 知らないで育ったぼくはみなしごさ
 強ければそれでいいんだ 力さえあればいいんだ
 ひねくれて星をにらんだぼくなのさ・・・

しかし、御来屋漁港に差し掛かったとき、その風景になぜかうら悲しさを感じはじめたタイガーでした。

[御来屋漁港(11時12分・約8.3キロ地点)]
御来屋漁港(11時12分・約8.3キロ地点).jpg

そして、はじめのうちは「これでいいんだ」と思っていましたがついに、タイガーの雄叫びに驚いて泣き出す子どもが出る始末。
いかんいかん、「トラがトラウマになった」なんて言われたら洒落にもならんと、深く反省するタイガーマスク。以降は、「ガオー!」と叫ぶ場合は3メートル以上離れることと、相手によっては「ガオー」ではなく、可愛く「ニャオーン」と猫なで声を出すことに決めました。
こうして悪役から正義の味方へと変身したタイガーなのであります。ニャオニャオ、ガオー!。



♪白いマットのジャングルに 今日も嵐が吹き荒れる
 ルール無用の悪党に 正義のパンチをぶちかませ
 ゆけゆけタイガー タイガーマスク

なんだか気分も高揚し、下木料海岸を軽快に駆け抜けて後半の走りに入っていくことができました。

[下木料海岸(11時31分・約11.5キロ地点)]
下木料海岸(11時31分・約11.5キロ地点).jpg

第2折り返しを過ぎ、15キロ地点あたりからゴール会場までは、微妙な上りが続きます。だけどガオガオ、ここは我慢の走りを見せるタイガーでありました。

[コースは上り基調に(11時55分・約16キロ地点)]
コースは上り基調に(11時55分・約16キロ地点).jpg

会場のスポーツランドに入る直前で、10キロの部に出ていた一反木綿と猫娘、それにルイージさんに追いつきました。

[ルイージと一反木綿と猫娘]
ルイージと一反木綿と猫娘.jpg

最後は緑レンジャーさんも加わって、仲良くつないだ手を高々と掲げ、5人一緒にゴールインしました。

さて、大会終了後はわが家の庭で、仲間たちと恒例のバーベキューパーティーです。

バーベキューで打ち上げ.jpg

しかしここで飲みながら、子どもたちを泣かせたタイガーが最後には心を入れ替えた話をしたところ、ナース昌子さんの口から衝撃の事実が。
なんと、スタート時にトラックのそばにいたナースのお孫さんも、私の「ガオー!」の被害者だったそうです。孫さんは、ハーフを走り終えて再びトラックに戻ってきた私の姿を見るやいなや、その場から一目散に逃げ出したとのこと。

おお神よ、どうかこの罪深きタイガーマスクを許したまえ。ゴロニャーン・・・


(私の記録)
タ イ ム 1時間58分00秒
順   位 104位/255人(50歳以上男子・エントリー数)


 
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posted by との at 18:08| 鳥取 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

入院していました



5月10日から19日まで、10日間という短いものながら、入院生活を送っておりました。といっても、治療をしたのは例の右膝ではなく、右の下顎(あご)です。

2月にこの部分が急に腫れてきたため、とある総合病院で受診しました。
診断の結果は、右顎の骨髄炎。手術をして一番奥にある歯を1本抜き、そこから骨髄の中の炎症を起こしている部分を除去しなければならないというもの。

ただし一刻を争うものでもないとのことなので、入院は5月にすることとし、その予約をして帰りました。そしてこのほど、約束の日がやってきたということです。

なお入院までの間は炎症を押さえる薬を処方してもらったので、腫れはさほど目立たず、ランナー生活も普通に送っていました。

鳥大病院.jpg

手術は入院した翌日の11日に、全身麻酔で行なわれました。
手術室までは歩いて行き、手術台には自分で乗りましたが、麻酔のガスを吸い込んでから1分もしないうちに深い眠りに落ちていきました。


手術室.jpg

執刀してくださったのは、手際が良さそうな女医さんでした。
手術は1時間半程かかったようですが、「とのさん」という呼びかけで目覚めた時にはすでに終わっていました。


手術直後.jpg

手術当日の11日は絶食でしたが、翌12日からは食事がとれました。ただしこれが“軟菜食”とやらで、しかもご飯は“全粥”。全然食べた気になりません。
それでも2日や3日は我慢しましたが、ふと気がつけば体重が2キロ以上減っており、トイレに行く足元も、なんだかおぼつかない感じです。そのため5日目くらいからは、病院のベーカリーや売店で買ったサンドイッチやパンも食べて、餓え(?)をしのぎました。

軟菜食.jpg

こうして少し元気が出てきたので、運動不足解消のため、廊下でウォーキングなどをはじめました。

廊下.jpg

しかし、なんだか人目も気になるので、人けのない階段の上り下りに切り替えました。
8階建ての病棟のフロアを一つ上がると44段。1階から8階を往復する616段を1セットとし、これを10セットおこなうことを1日のノルマとしました。

階段.jpg


それにしても病院では動かない時間が多いので、階段ウォークも「焼け石に水」のよう。10日間の入院で体がずいぶん鈍ってしまいました。ようやく娑婆に戻ったので、これから早急に体力の回復に努めたいと思います。

ということで、さっそく日曜日には地元の町で開催される「名和マラソンフェスタ」へ、仲間たちと仮装して参加します。これに用意したのは、タイガーマスクのかぶり物。
「ルール無用の悪党に、正義のパンチを見せてやる!」と言いたいところですが、退院してわずか3日後のハーフ。病み上がりのタイガーマスクは、はたして無事に走り切れるのでありましょうか?


タイガーマスク2.jpg



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posted by との at 22:21| 鳥取 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 非日常的な日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月17日

川の道フットレース 254Kmの部(後半)


スタート地点の小諸市の標高は約650mで、鹿渡館が約200m。そこから約30キロ先の魚沼橋あたりが標高80mなので、微妙ながら下り基調のコースと言えます。
しかし、やはりほとんど走れません。パワー切れならともかく、足裏の痛みで走れないなんて、我ながら情けないことです。もちろん、歩いているランナーは他にもいますが、彼らの多くは、そのうちに再び走り出していきました。その背中を、羨ましい思いで見送る私でした。

[走れない(4日12時34分・約134キロ)]
走れない(4日12時34分・約134キロ).jpg

鹿渡館から4時間ほど歩いてきたところで、ふと足元に目を落としました。そのとき、強い午後の強い日射しでできた両脚の影が、びっこを引いていることに気づきました。自分では意識していませんでしたが、右脚を前に出す動きがわずかに遅れているような、あるいはそれが十分に上がっていないような、不自然な動きになっています。
2月に故障し、ほぼ治りかけていた膝が再び悪化してきたのかと一瞬思いましたが、あえてその影の動きを見ながら修正を試みました。左右の脚の動きを意識して揃えようとしたところ、びっこを引くことはなくなりました。
どうやら、痛めていた右膝を無意識にかばおうとして、脚の動きが乱れていたようです。

跛をひく脚(4日16時4分・約149キロ).jpg

さて、チェックポイントの浅沼橋へ到着したときには、すでに夕闇が迫っていました。この時点で、鹿渡館を再スタートしてから6時間あまり過ぎていましたが、進んだのはわずか29キロ。1時間に5キロ弱の計算です。歩きとしてはまずまずのペースですが、走っていれば少なくとも40キロは進めたはずです。
足の痛みは相変わらずで、悔しいですがこの後も歩き続けるしかないと覚悟しました。


[浅沼橋南詰めチェックポイント(4日18時34分・約162キロ)]
浅沼橋南詰めチェックポイント(4日18時34分・約162キロ).jpg

2度目の夜に入ってからは、後続のランナーに抜かれることが多くなりました。歩きのペースも次第に落ちていたのだと思います。走るランナーのみならず、同じように歩いているランナーにも、次々と抜かれていくへっぽこな私でした。
前夜にくらべ気温もやや低く、深夜には10分程の短い時間でしたが急な雨にも打たれてずぶ濡れになり、いっそう気持ちを削がれることになりました。

[2度目の夜(5日0時39分・約182キロ)]
2度目の夜(5日0時39分・約182キロ).jpg

そして夜中の3時頃、長岡の市街地に入ったとたん、コースはそれまでの暗く殺風景なものから突然、都会的なそれに変わりました。そのとき、「ここは東京だったっけ?」「んっ、大阪だったかも」と一瞬、頭が混乱しました。
頭だけでなく、体の方も疲れはピークです。しばらく休もうと縁石に腰を降ろしたところ、腰の骨が“ジーン”としびれるような感覚がありました。いままで何度も長距離を走りましたが、こんなことは初めてです。
「しびれの原因はたぶん、走りと違って歩きの場合は腰をあまり動かさないためだろう」と、自己流の分析を行いました。そして、「ここはひとつ、意識して腰を動かしながら歩くことにしよう」と、対応方法を決めたというものです。

どうか想像してみてください。まるでフラフープを回すようにグルグルと、あるいは安来節を踊るときのように腰を前後に振りながら、深夜の商店街を歩く神々しくも滑稽なランナーの姿を。
しかし読者よ、決して笑ってはいけませんぞ。だって本人は大真面目なのだから。
それにしても、もしこの光景を目撃した人があったなら、その意味不明で不気味な動きをする不審者の姿に、凍りついたに違いありません。いま思い出せばおかしいですが、関連する筋肉が疲れ切るまでの十数分間は、真剣に腰を振り回していた私なのであります。
実話とはいえ、なんだか馬鹿みたい。この話題はこれくらいにしましょう。

[長岡市街地(5日3時・約192キロ地点)]
長岡市街地(5日3時・約192キロ地点).jpg

いつしか朝になっていましたが、私といえばあい変わらず、とぼとぼと歩いておりました。
それでもそろそろ復活する頃ではないかと思い、ゆっくりと走り出そうと試みました。でもダメです。足の裏の痛みはかなり和らいでいるのですが、左の親指の爪がシューズに当たると、ジンジンと痛むことに気がつきました。
実は今回、膝の故障をカバーするため、インソールを2枚重ねて入れたのですが、これが災いして親指が圧迫され、爪の下に内出血を起こしてしまったようです。作戦が失敗だったことにようやく気づき、インソールを1枚抜きました。しかし、時すでに遅し。
そんな私の脇を、軽快な走りで通り抜けていくランナーがあります。

[追い抜いていくランナー(5日6時57分・約207キロ)]
追い抜いていくランナー(5日6時57分・約207キロ).jpg

歩いているランナーも少なからずいます。
そんな中に、びっこを引きながら歩いているランナーの姿がありました。そのゼッケンの色はイエロー。東京からここまでの約480キロを走ってきたフルの部のランナーです。
「痛そうですね」と話しかけたら、「走って走れないことはないけど、ゴールまではまだ40キロある。いま走ったら、なにが起こるか分からないからね」と、その応えは淡々としたもの。「さすが、達観してるなあ・・・」と、いたく感銘する私でありました。 

[歩くランナー(5日8時43分・約213キロ)]
歩くランナー(5日8時43分・約213キロ).jpg

再び無心の境地に入って歩き続け、昼前に新潟市に入りました。ゴールまでさらに続く長い長い平坦地は、精神的にもきついところです。痛み、疲労、強い日射し、強風、はるか先のゴール・・・。ここは、我慢あるのみです。

夕方になって新潟の市街地に入り、そしてここを抜け、

[新潟市街地(5日17時8分・約245キロ)]
新潟市街地(5日17時8分・約245キロ).jpg

ようやく信濃川河岸に入りました。

[信濃川河岸(5日17時43分・約246キロ)]
信濃川河岸(5日17時43分・約246キロ).jpg

河口までいけば、日本海です。
「もう近い」と思ったのですが、実際は海岸まで、まだ4キロ弱はあります。ここも歩いていたのですが、海岸に近くなった頃、それまで川の東側を照らしていた強烈な日射しが、急に和らいできたことに気づきました。日没が迫っていたのです。「落日が見たい」と、そのとき思いました。

それから5分程は、歩を早めて進みました。しかし、海岸はなかなか見えてきません。「このペースでは間に合わないかもしれない」と、意を決して走り出しました。はじめはゆっくりと、そしてしだいにペースを上げていきます。この時ばかりは、痛みのことはすっかり忘れていました。
走りはじめてから500メートルほどきたところで、登り坂の先にスタッフの姿が見えました。ここをダッシュで駆け上がり、「夕陽はどこで見えますか?」と聞いたらスタッフが、「あちらです」と手で指し示しました。
その先は、だれが呼んだか「川の道岬」。多くのランナーが、そこにたたずんでいました。

[川の道岬(約250キロ)]
川の道岬(約250キロ).jpg

そのときまさに、水平線に夕陽が沈んでいこうとしていました。私は夢中で、カメラのシャッターを切っていました。そしてわずか数分後には、夕陽はその姿を隠します。
それにしても、ここまでの苦しかったランとウォークが、このシーンだけで報われると思うほど、美しい夕陽でした。


[川の道岬の落日(5日18時25分)]
川の道岬の落日(5日18時25分).jpg

この「川の道岬」が、気持ちの上ではゴールでしたが、実際のゴールはさらに4キロ先の「健康ランド」。直前のランで終わってしまった脚を惰性で動かし、なんとかたどり着きました。

それにしてもウルトラマラソンは奥が深い。学ぶべきことは、まだまだたくさんある。ーーー あらためてそう思わせられた大会でした。


(私の記録)
タ イ ム 56時間48分58秒
総 合 順 位 36位/44人(出走数)


CP19鹿渡館(133.0km) 22:42:11 25位
CP21和田邸(178.2km) 35:28:02 24位
ゴ ー ル (253.9km) 56:48:58 36位
平均タイム       0:13:25

(前半)へ戻る → http://t-tono.seesaa.net/article/437689198.html


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posted by との at 16:12| 鳥取 | Comment(2) | TrackBack(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

川の道フットレース 254Kmの部(前半)


5月の連休は、「第12回日本横断 川の道フットレース」に参加しました。
この大会は、甲武信岳を分水嶺として繋がる荒川と信濃川(長野県内では千曲川)沿いに、太平洋から日本海へと続く「川の道」をたどるものです。
コース全線の荒川河口から新潟市までの総延長は520キロ。これがこの大会のいわゆる「フル」なのですが、このところの応募者急増のため、昨年の大会からエントリーは抽選となってしまいました。
しかもいきなりフルへの応募はできず、まずはコース後半の254Kmの部(千曲川〜信濃川ステージ)、つまり「ハーフ」を完走する必要があります。もちろんこちらも抽選ですが、くじ運がめっぽう強い私は初めての応募ながら、これに通って参加することができたというものです。

250キロ以上の大会は今までに、「萩往還マラニック(250キロ)」2回、「さくら道国際ネイチャーラン(250キロ)」3回、「橘湾岸スーパーマラニック(273キロ)」を2回、それぞれ完走しています。
コースやエイドの環境が全然違うので単純な比較はできませんが、「川の道」の場合は制限時間が58時間と比較的長いこともあり、「無理をせずにゆっくり行けば、必ず完走できる」と甘く考えていました。

結果から言えば完走はしたものの、後半は走れない状態になってしまい、ランと言うよりも、長く辛い「ウォーク」を経験することになります。

[スタート前]
スタートは、小諸グランドキャッスルホテル前から.jpg

254Kmの部のスタートは、5月3日の午前11時。ゴール関門は、2日後の5日午後9時となっています。44人のランナーたちは、小諸市の懐古園に隣接する小諸グランドキャッスルホテルから、ゆっくりと走り出しました。

小諸市内を走る(3日11時21分・約3キロ).jpg

19キロ地点の上田城址の通過時間が13時7分。想定より少し早いタイムです。

[上田城址]
上田城址(3日13時7分・約19キロ).jpg

この後は、少しピッチを落としながら郊外へと進んでいきました。

[郊外へ(3日14時29分・約29キロ)]
郊外へ(3日14時29分・約29キロ).jpg

さて、「川の道」と言っても川土手を走るわけではなく、基本的にはこれに沿った国道や県道を進みます。時おり川を横断するときに、美しく流れる風景を楽しむことができます。千曲市の篠ノ井橋から見た千曲川は、穏やかに流れていました。


[篠ノ井橋から千曲川を見る(3日16時13分・約43キロ)]
篠ノ井橋から見る千曲川(3日16時13分・約43キロ).jpg

「牛に引かれて善光寺参り」の古語で知られる善光寺は、コース上に10カ所設けられたチェックポイントの一つです。夕闇が迫る午後6時20分に境内へ入り、ランナーに義務づけられている本堂での参拝を済ませました。
なおこのあたりから、我々より3日早い4月30日に東京の葛西臨海公園駅前をスタートした520Kmの部のランナーたちの姿を、ぼちぼちと捉えはじめました。

[善光寺(3日18時20分・約56キロ)]
牛に引かれて善光寺参り(3日18時20分・約56キロ).jpg

この後、バックパックからライトや反射材を取り出し、1日目のナイトランに入っていきます。
この日は気温が高く、スタート時から薄いTシャツ1枚で走っていました。夜に入ったらウェアを重ねるか防寒着を羽織るつもりでしたが、あいかわらず暖かいので、そのまま走り続けました。

[夜になっても気温は下がらず(3日21時11分)]
夜になっても気温は下がらず(3日21時11分).jpg

ところで、この大会ではエイドが非常に少なく、公式なそれは2カ所しかありません。したがって、コンビニがその代わりとなります。しかし、コンビニがどこにあるか知らないので、エネルギー切れをおこさないよう、おにぎり、サンドイッチ、コーヒーなどを早め早めに補充しました。

エイドはコンビニ(3日23時43分・約85キロ).jpg

3日の深夜から4日の午前中にかけては、降雨の予報でした。これに違わず、深夜3時頃から小雨模様となってきました。そして、4日の午前5時頃から雨が強まり、7時頃までは、ずぶ濡れになりながらのラン。

体の方は防水のジャケットで守れますが、シューズが濡れると足の裏の皮がふやけ、水ぶくれができやすくなります。非常にいやな状態ですが、どうしようもありません。足の裏をかばうため、微妙なアップダウンでは無理をせず、慎重に進みます。

[無情の雨(4日5時5分・約109キロ)]

無情の雨(4日5時5分・約109キロ).jpg

約119キロ地点の宮野原橋を渡るところが、長野県と新潟県の県境です。

[長野県から新潟県へ(4日6時59分・約119キロ)]
新潟県に入ると千曲川が信濃川になる(4日6時59分・約119キロ).jpg

ここで千曲川は、信濃川へと名前を変えます。

[信濃川]
信濃川.jpg

このコースのほぼ中間にあるレストポイントの鹿渡館へは、4日の午前9時42分に着きました。午前8時から11時くらいの到着を想定していたので、ほぼ予定どおりと言っていいでしょう。

[鹿渡館]
レストポイントの鹿渡館へ到着(4日9時42分・133キロ).jpg

ただし、問題が生じていました。やはり朝方の雨の影響で足の裏が痛くなり、鹿渡館が近くなってからは、痛みのために走れなくなっていたのです。
ここからゴールまでは121キロ。しかし時間は35時間も残っています。仮に走れないままでも、1時間に4キロのペースで歩けば30時間あまり。鹿渡館とコンビニ等での休憩を計4時間みても34時間。「これなら歩いてもギリギリで完走できるはず」と思いました。
100キロ以上を歩こうなんて、それまで考えたこともありませんでした。過去にもウルトラマラソンで一時的に走れなくなることはありましたが、必ず回復していましたし、痛みがあっても我慢して走り続けていました。しかし、今回ばかりは、それができそうにありません。


それにしても、私にとって走れないということはとてもストレスで、走りの代わりに歩くことが楽しいとは、まったく思えません。しかし、ゴールを目指すためには、他に選択肢がありません。
鹿渡館で1時間の仮眠を含む2時間あまりを過ごしてから、やおらコース後半へと“歩き出して”いきました。

(後半)へ進む → http://t-tono.seesaa.net/article/437976528.html


 
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posted by との at 14:08| 鳥取 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする