2017年05月23日



名和マラソンフェスタ2017


今年はエントリー数が1600人を越え、初めての期日前閉め切り。いまや我がまち大山町の一大イベントとなった「名和マラソンフェスタ2017」が、5月21日(日)に開催されました。


私の場合、この大会にはハーフ部門へ仮装して出るのが恒例となっています。初めて仮装で走ったのは2009年のことでした。当日の朝、知り合いの大会スタッフから「スタートするまで、パンダの着ぐるみを着て会場をウロウロしてくれませんか」と頼まれた私は、「いいよ」と快諾。その姿で会場を歩きまわったところ、大受け。脱ぐのも面倒くさいので着ぐるみにナンバーカードを付けてそのままスタートしようとしたら、「死んでしまうからやめて!」とスタッフの声が。
しかし、この制止を振り切って、そのままコースへ出たというものです。
もちろん死ぬことはなく、沿道からは「パンダさん、がんばって〜!」と予想をはるかに上回る好反響。これに気をよくし、仮装が病み付きになってしまった私です。


パンダ2.jpg

次の年は、百均で買った宴会用品を使い、「キン肉マン さくらちゃん」というオリジナルなキャラクターで参戦。自分でも、うっとりするほどド派手なコスチュームでした。


キン肉マン さくらちゃん-2.jpg

仮装3年目のテーマは「変なおじさん」。絶対に正体はバレないと思っていたのに、職場のS女史に一目で見破られてしまいました。「どうしてわかったの?」と聞いたら、「だって、“そのまんま”ですもの」とのたもうた。私って、普段からこんなに変なの?



変なおじさん.JPG

仮装4年目となる2012年は、走り仲間4人を誘い込み、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪に扮して登場です。目玉おやじのかぶり物の私は、“窒息”しかけて“失速”したものの、完走は果たしました。

TEAMゲゲゲ.JPG

1年飛んで、2014年は「交通安全おじさん」。ランナーや沿道の人たちに「交通事故0(ゼロ)」をアッピールしながら走る私の運転免許証は、もちろんゴールドです。


交通安全おじさん.jpg

そして昨年は、「タイガーマスク」。ルール無用の悪党達に正義のパンチを見舞う孤高な姿は、沿道の人たちの感涙を誘ったのであります(たぶん)。


タイガーマスク.jpg

さて、長過ぎる前置きはここまで。
ということで、今年の私はというと・・・ジャジャーン!



交通安全指導員.jpg

警察官? いえいえ、拳銃と手錠は持っていません。
ガードマン? 惜しい!
正解は、「交通安全指導員」です。いかにも本物っぽいでしょう。それはそう。だって本物ですもの。実は私、“渡世の義理”により4月から、町の交通安全指導員になってしまいました。

ということで、今年は仮装ランナーになることはできず、ハーフと10キロ部門のコースの3キロ地点にある交差点で、ランナーの皆さんが安全に走れるよう誘導に努めたのであります。



交差点でランナーを見守る.jpg

そうして2時間ほどで任務を終え、ママチャリで帰宅しかけていたところ、道路脇に立つマラソンフェスタののぼり旗が目に入りました。
それを見て、これからも交通安全指導員である限り、この大会で走ることはできないなあ・・・と。そう思うと、ちょっぴり寂しくなった私です。

のぼり旗.jpg



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posted by との at 19:25| 鳥取 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 非日常的な日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

川の道フットレース(日本横断ステージ・2/2)


両神荘での4時間あまりの休息で、足裏の痛みが治まったかどうか気がかりでした。少し歩いて体をほぐしてから、ゆっくりと走り出してみると、どうやら大丈夫そう。ペースは遅いものの、走れることが嬉しかったです。

走る.jpg

しかしコースは微妙な上り。2晩目を迎える頃には、体力の消耗とぶり返してきた足裏の痛みのため、再び歩いている私でした。


歩く.jpg



その後、ゆっくりした走りと歩きを繰り返しながらだいぶ標高を上げ、志賀坂トンネル手前のチェックポイントへ来ました。ここで、しばらく前から併走していた若いランナーに、「足の裏が痛くて、あまり走れないよ」と話しかけたら、「ロキソニンをもってますけど、飲みますか?」と聞いてくれました。そう言えば、私も膝痛の対策としてロキソニンは持っていたのに、そのことをすっかり忘れていたのです。ランナーの好意に礼を言い,ザックを降ろしてロキソニンを取りだして1錠だけ飲みました。

効果はてきめん。トンネルを抜ける頃には嘘のように痛みが消え、それから続く長い長い下りを止まらずに走り続けることができたのです。


坂を下り切ったところで、埼玉県のSさんとしばらく併走することになります。この大会の完走者には、完走順に永久ナンバーが与えられます。私より7歳年上のSさんのザックについていたのはイエローの永久ナンバー。しかもその数字は「4」。当初から参加しているベテランランナーさんでした。
話かけて、トレーニング方法などいろいろ聞かせてもらいながら走りましたが、ぶどう峠の登りに差しかかる頃には引き離され、その背中が遠くなっていきました。


Sさん.jpg

標高1,510メートルのぶどう峠の登りは、行けどもいけども終わらず、本当にきついものでした。夜が明けるまでは暗闇で目の前のロードしか見えませんが、明け方近くなるとうっすらと先の方まで見渡せるようになります。そのとき、「もうすぐ峠を越えられるだろう」という期待に反し、そびえ立つ壁のような山肌が行く手を塞いでいることに気づきます。心が折れそうでしたが、止まらずに行くしかありません。
尋常ではない寒さにそれまでは耐えていましたが、まだまだ峠が終わらないことを知って観念し、ここで厚手のウィンドブレーカーを着込みました。

ぶどう峠.jpg

ようやくぶどう峠トップのチェックポイントへ着いたのは、2日の午前5時25分。両神荘を出てからの56キロは、13時間もかかる苦しいランとウォークでした。
 
ぶどう峠の山頂.jpg

食欲はありませんでしたが、前夜から何も食べていないのが気になっていたので、エイドのいなり寿司を2つつまんでからここを立ちます。中間点の小諸までは58キロ。「もう上りはないだろうから17時までには着くだろう」と、この時点では考えていました。
この時の私の後ろ姿を、土田日出男さんという方が写真に撮ってくださっていました。すでにパワーは感じられず、それどころか悲哀を漂わせているようなその背中は、この後の展開を予感しているようでした。


後ろ姿.jpg

膝や足裏にダメージを残さないよう、峠の下りはゆっくり行こうと決めていました。すぐに3人のグループに追い抜かれましたが、気にせずこれを見送ります。
1時間ほどかけて下り終え、平地に入ってからしばらくは“歩き時々走り”でいきました。そのうちに、峠で追い越された3人の姿が見えたので、少し速度を速めてこれに追いつき、話をしながら進みます。内陸なので、この時期なのに桜が満開。心が癒されます。

桜満開.jpg

3日目となるこの日も、ジリジリとした強い日差しが照りつけます。4人の口数はしだいに少なくなり、そのうちに集団がばらけていきました。4人の最後尾になってしまった私は、離されまいとしてピッチを上げようとしたとき、左足の親指にチクチクする痛みを感じました。
我慢してそのまま1キロほど進みましたが、痛みはますます強まってきます。「これはまずい」と道端に座り込み、左のシューズと靴下を脱いで確認しました。見ると、親指の爪の周りがみみず腫れのように盛り上がり、触れると強い痛みがあります。「しまった」と思いましたが、後の祭りです。気づくのが遅すぎました。
後で考えると原因はいくつか思い当たりますが、このときは、両神荘を出るときにシューズの紐を緩めにしたことによって、前夜からこの日の朝にかけて走った長い下りの場面で親指がシューズの内側に当たり、痛めてしまったものと考えました。遅ればせながら、紐をしっかりと結び直してみましたが、痛みの軽減にはあまり効果がありませんでした。

その後は悲惨なものです。228キロ地点のチェックポイントである小海大橋交差点へ着いたのが10時25分。ぶどう峠からは下りとフラットしかなかったのに、この間の20キロに5時間もかかっていました。なんと時速4キロのスローペースです。

痛みはその後も治まることはなく、しかも、左だけでなく右の指も同じような状態になってきました。ここで、前夜に劇的な効果を体感したロキソニンを再び服用してみましたが、痛みは引きませんでした。
そしてこの辺りでは、まるでエアポケットに入ってしまったかのように、前後のランナーがいなくなります。次の関門の制限時間まではまだ十分余裕があるのに、「もしかしたら、私が最終ランナーではないのか?」と、不安な気持ちになりました。

そんなとき、「お疲れ様です」という言葉とともに、一人のランナーがスッと私を追い抜いていきました。彼は走っていませでしたが、ポールを使いながら、時速5キロより少し早いくらいのスピードで、確実に進んでいました。
私は、「彼に付いていけば、時間内に完走できるのではないか」と歩きのピッチを上げ、離されそうになると時々走りを入れながら2時間以上、早歩きを続けました。

歩くランナー.jpg

そうして、16時35分に251キロ地点の佐久市・長戸呂東交差点に着ました。コース中間点で、第2レストポイントでもある「小諸グランドキャッスルホテル」までは、あと7.5キロ。ここで彼を追うのをやめ、気分転換も兼ねて、この角にあった「すき家」に入ります。すき家では、うな牛セットを注文しました。スタートしてから初めてのちゃんとした食事です。ここには1時間も滞在し、しっかりと鋭気を養いました。

うな牛.jpg

再びコースに出たとき、早歩きで進む3人のランナーと一緒になりました。しばらくはこれと争うように進み、しだいにばらけていく中で、私は2番目をキープしていました。
しかし、キャッスルホテルの1キロほど手前から両足の指の痛みは尋常でなくなり、歩き続けることも難しくなりました。
「どうしたら痛みを軽くできるか?」。考えた末に、シューズのインソールを抜いてみました。そうしたところ指がシューズに当たりにくくなり、ずいぶん楽になりました。しかしさらに進むと、やはり痛みがぶり返します。もう、どうしていいのかわかりませんでした。



小諸が近い.jpg

小諸グランドキャッスルホテルへの到着は、ちょうど19時でした。ここの到着関門時刻は、3日の午前0時で、午前8時までに出発しないといけないことになっています。時間的な余裕は十分ありますが、問題は足の指の痛みが治まるかどうかでした。
ホテルではゆっくり風呂に入りましたが、足の先は湯ではなく、水風呂に浸けてでアイシングをしました。
その後、ランナーの控室で明朝の出発に備えてウェアなどの準備をしていたら、神奈川県のMさんが、「調子が悪いですか?」と声をかけてくれました。たぶん、私の不甲斐ない走りを、どこかで見られたのでしょう。
Mさんとは5年前に別の大会で知りあいましたが、その時にいただいた名刺の裏に、完走された主な大会名が書いてありました。その中に「日本横断 川の道フットレース 520K」とあるのを見たことが、この大会を意識するきっかけでした。ちなみにMさんは520キロ部門をすでに2回完走しており、74歳になった今回は、最高齢ランナーとして見事に3度目の完走を果たしています。

Mさんの名刺.jpg

さて、あえて目覚ましをセットせず、午後9時半過ぎに眠りに落ちた私は、3日の午前1時に目覚めました。布団の中に横たわったまま、右足を左足の親指の爪に当ててみると、鋭い痛みが走りました。同じように、右足の親指もかなりの痛みを感じます。「まだ無理」と判断し、再度目を閉じました。

次に目覚めたのは、午前4時前。指の状態は、先ほどとさほど変わっていないようです。5キロや10キロならともかく、254キロもある後半のコースへ向かっていくことは、どう考えても無理でした。

「昨年完走したハーフでコース後半も制覇しているのだから、川の道はもういいじゃないか」と考えようとしました。また、「小諸まできたことで、来年もエントリー申請する資格は得ている」と、リタイアを受け入れる理由を探している自分がいました。決心がつかないまま布団から抜け出してシューズを履き、廊下を歩いてみましたが、やはり走れる状態ではありません。


1階へ降り、ロビーにいたスタッフに「リタイアします」と告げました。そして、5時半過ぎに出る朝一番の列車で帰郷することにし、荷物を整理してバッグにつめはじめました。峠で着たウィンドブレーカーを畳もうとしたとき、ポケットに名刺サイズのペーパーが入っていることに気づいて取り出します。それは、ぶどう峠の途中にある特設エイドでもらった、手作りの「日本横断走行券」でした。まじまじと券に見入ると、「途中下車不可」の文字。これを見て、可笑しさと悲しさが入り交じる複雑な気持ちになりました。

日本横断走行券.jpg


「完走できてもできなくても、チャレンジは今回一度切り」と決めて参加した「川の道」のフルは、残念な結果に終わりました。それでも振り返ると、長いコース上で目に焼き付いた多くの光景が鮮やかに蘇ります。私にとって、2年越でこの全線を辿った経験は、決して無意味なものではないと思っています。


(私の記録)
start
    30日 9:00 葛西臨海公園
CP1 50位    13:42 戸田市・彩湖(39.0Km)
CP3 45位    17:58 吉見町・桜堤公園入口(67.3Km)
CP6 55位  1日  2:36 寄居町・波久礼駅前T字路(110.6Km)
CP8 67位    12:09 小鹿野町・両神荘体育館(151.4Km)
CP13 79位  2日 19:00 小諸グランドキャッスルホテル(259.3Km)
* 完走率 77%(94/122人)
    

(了)


「日本横断ステージ 1/2」へ戻る → http://t-tono.seesaa.net/article/449670608.html







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ラベル:超ウルトラ
posted by との at 23:29| 鳥取 ☀| Comment(8) | TrackBack(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

川の道フットレース(日本横断ステージ・1/2)


ゴールデンウィークは、「第13回日本横断 川の道フットレース」の日本横断ステージに参加しました。

この大会は、東京の荒川河口から延々と上流へ上っていき、甲武信岳の分水嶺を越えてからは信濃川・千曲川に沿い、新潟の日本海へと続く総距離520キロの「川の道」を走るものです。
私は今までに、いわゆる「100キロマラソン」と「100キロ以上200キロ未満のウルトラマラソン」に、それぞれ29回と7回出場してすべて完走。また200キロ台の大会には10回出場し、うち9回を完走しています。
「川の道」も昨年、コース後半の254キロを走る「千曲川〜信濃川ステージ」へ参加し、足の痛みから不本意なタイムではありましたが一応、完走を果たしています。
今回は、初めての500キロ超という未体験ゾーンへの挑戦なので、期待と不安に胸が高鳴りました。とはいえ制限時間が132時間もあることから、無理せずにゆっくり行けば必ずゴールできるものと信じていました。
なお今回は、本来のルートである林道金山志賀坂線の斜面崩落復旧工事が間に合わず、145キロ地点から237キロ地点までのコースが直前に一部変更され、総距離は513.5キロに短縮されています。
さて結果は、中間点の小諸で無念のリタイア。500キロどころか、その半分の259キロで“海の藻くず”ならぬ“川の藻くず”となってしまったのです。ウルトラではなにが起こるかわからないことを、あらためて思い知らされました。




チラシJpeg.jpg

レーススタートは4月30日。荒川河口の葛西臨海公園には、120人あまりのランナーが集結し、快晴の中で開会式が行なわれました。


開会式.jpg

午前9時、ホイッスルの音を合図に鯉のぼりが飾りつけられたコースへと出ていきました。ゴール関門時刻は、5日後の5月5日午後9時。先が長いだけあって、みんなゆっくりしたペースです。

スタート直後.jpg

公園の木立を抜けると、荒川の河口から左岸の管理道に沿って北を目指します。

荒川河口付近.jpg

ほどなく橋を渡り、コースは右岸に変わります。



荒川右岸を走る.jpg

荒川の河川敷はとても広いので、管理道沿いにはグラウンドがたくさんあり、野球やサッカーをしている子どもや大人達の姿をあちこちで見かけました。

野球をする子どもたち.jpg

この日は、7月上旬なみの暑さになると予報されていました。実際、日陰のまったくない河川敷を、強い日差を受けながら走ることになります。オフィシャルなエイドは39キロ先でしたが、私たちのために私設のエイドが複数用意されており、とても助かりました。

私設のエイドステーション.jpg

戸田市に入ると、彩湖の湖畔をしばらく走ります。ここには途切れとぎれに木陰があり、ほっと一息つきました。


彩湖畔.jpg


さて私は、昨年の大会データの分析から、記録が公表される6カ所のチェックポイントをそれぞれ80位で通過したランナーの記録をクリアしていけば、間違いなく完走が狙えるものと踏みました。途中、コース変更があった部分は無視せざるをえませんが、それ以外のチェックポイントでは、これを指標にして走ることとしました。名付けて『80位大作戦』です。

まず39キロ地点の彩湖北端へは13時42分の到着で、ほぼ想定どおりです。

CP2 彩湖畔エイド(30日13時42分・39キロ地点).jpg

この後は、サイクリングロードをひた走ります。途中の路面に、『信じて 川のみち』という石灰で書かれたメッセージを見つけました。スタート後6時間半を経過し、そろそろ疲れを感じはじめた頃でしたが、スタッフの心遣いに力が湧いてきました。

信じて川の道(30日15時24分).jpg

67キロ地点の桜堤公園入り口への到着は、17時58分。この時点で、想定より20分ほど早いタイムです。

CP3 桜堤公園入口(30日17時58分・67キロ地点).jpg

76キロ地点となる鴻巣市の大芦橋のエイドのメニューは、各種のカップラーメン。夕方頃までは食欲があった私も、陽が落ちてからは胸がむかつくようになり、水以外のものは受け付けなくなっていました。ここはスルーして、先を急ぎます。



CP4 鴻巣市・大芦橋(30日19時46分・76キロ地点).jpg

なおサイクリングロードはここで終わり、この先は、国道や県道、林道などを走り継ぐことになります。夜間走は嫌いではありませんが、この時間になると前後のランナーはかなりばらけていました。地理に不案内なところでは道迷いが一番心配なので、できるだけ前のランナーを見失わないように気をつけました。

夜間走(30日23時38分).jpg

それでも一人になってしまたときは、事前に注意点を書き入れたマップを見ながら、慎重に進みます。

マップ(5月1日午前1時27分).jpg

110キロ地点の寄居町の波久礼駅前の到着は、日付が変わった5月1日の午前2時36分。作戦の想定より40分ほど早い時間です。順調に進んでいるものと判断しました。

CP6 波久礼駅前(1日2時36分・111キロ).jpg

しかし、このあとは歩きと走りを繰り返すようになり、特に夜が明けてからは足の裏が痛みはじめたため、歩きが多くなりました。しかし他のランナーも同じ様子なので、焦らずに進んでいきました。

ひたすら歩く(5月1日午前10時30分・約130キロ地点).jpg

さて、コース上には宿泊のできるレストポイントが3カ所設置されています。初めのレストポイントである小鹿野町の国民宿舎「両神荘」へ到着するしばらく前から、雨粒がポツリポツリと落ちかけていました。しかし、本降りになる直前の正午過ぎにここへ到着することができ、幸いにもずぶ濡れになることは避けることができました。


両神荘へ到着(1日12時9分・151キロ地点).jpg

各レストポイントでは、それぞれ2時間以上の休息が義務づけられています。2日や3日で終わるレースなら完全徹夜でいくことはよくありますが、先の長い大会なので、ここは焦らずにいくことにします。
足裏の痛みの回復も期待し、温泉にゆっくり浸かってから体育館へ行き、布団にくるまれました。
アラームはあえてセットしませんでしたが、きっちり2時間後にすっきりと目が覚めました。
起きだすと特設された食堂へ。いつしか胸のムカつきも治まっていたので、スタッフが手作りしたカレーライスやサラダをしっかりいただくことができました。

食堂.jpg

1日の16時25分に両神荘をリスタート。玄関ではスタフッが、「小諸のキャッスルホテルで待ってますよ」と言いながら、ピースサインで送り出してくれました。
このとき、いくぶん足が浮腫んでいたと思います。シューズが少しタイトに感じられたので、かがみ込んでいったん紐をほどき、緩くして結び直しました。ひょっとしたらこれが、その後に訪れる最悪の結果の一因になったのかもしれません。


両神荘を出発(1日16時25分).jpg


「日本横断ステージ 2/2」へ進む → http://t-tono.seesaa.net/article/449859248.html



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ラベル:超ウルトラ
posted by との at 18:02| 鳥取 | Comment(0) | TrackBack(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする