2020年11月22日

鷲峰山トレイルラン練習会



11月15日(日)は、走友のsappanさんが主宰する鳥取県トレイルラン同好会のイベント、「鷲峰山(じゅうぼうやま)トレイルラン練習会」に参加しました。
鷲峰山は、2017年に開催された「第1回鷲峰山トレイルラン」で走ったことがあります。河内登山口から山に入ったこの時は、約20キロのコースのうち半分の10キロは舗装路でした。しかし今回は古仏谷登山口からスタートして山頂を越し、安蔵森林公園まで行って折り返して来るのですが、往路では山頂の少し先の分岐からカラ滝までの往復が加えられます。トレイル率100%のこのコースは、Stravaの計測で距離19.1 km、累積標高差1,759mで、かなりハードなものでした。

[コース図]
ログ(鷲峰山トレイル) - 1.jpeg

さて今回の参加者は5人ですが、私以外の4人はアラフォーでちょうど脂が乗り切った世代です。歳の数こそ負けてはいないものの、ランではどう見ても形勢不利。さらに、このところの腰の不調も不安要因になっており、「ついて行けそうになかったら半分くらいで引き返そう」と、いつになく弱気な私でありました。

アラフォー - 1.jpeg



スタートしたのは午前8時8分。sappanさんを先頭に、中国自然歩道の登山道へ入っていきます。

スタート - 1 (1).jpeg

季節はすでに深秋。厚く積み重なった落ち葉の上を、“ザクザク”と音を立てながら進みました。

落ち葉 - 1 (1).jpeg

鷲峰山名物の階段地獄も、あちらこちらで待ち構えています。

階段地獄 - 1 (1).jpeg

午前9時26分にようやく山頂へ着き、しばしの休息です。天気が良かったので、遠く湖山池もはっきり見えていました。



山頂 - 1 (1).jpeg

頂上を少し超えたところの分岐から、右の谷へコースをとります。しかしここにあった標識の右折方向のプレートには、何も記載がありません。実は、ここからカラ滝へ向かうルートはいったん廃道になっていたものが整備され、最近になって再び通れるようになったそうです。

分岐 - 1 (1).jpeg

入ってみれば、結構ワイルドなコースではありませんか。

下りはワイルド - 1 (1).jpeg

真新しい鎖が渡された箇所だってあります。

鎖場 - 1 (1).jpeg

カラ滝の側では、60度くらいはありそうな3連の金属製階段を降りていきました。

下りの階段 - 1 (1).jpeg

すると、そこにあったのは小さな東屋。それにしても、こんなところまで休みに来る人が果たしているのだろうかという疑問は、未だに解けていません。

東屋 - 1 (1).jpeg

しばし休憩したのちに、ここでUターン。今しがた下りてきた階段を、登り返していきます。

階段を上る - 1 (1).jpeg

そのとき左手に目をやると、糸を引いたような水の筋が見えました。
このカラ滝への寄り道はsappanさんが後で計画に付け加えたようですが、私にとっては今回のトレイルで、最も印象に残るものでした。

カラ滝 - 1 (1).jpeg

こうして元のルートへ復帰すると、以降は長い下り基調のトレイルとなります。

駆け下りる - 1 (1).jpeg

しだいに強まる陽射しで、紅葉の色もいっそう引き立っていました。

秋色(小) - 1.jpeg

11時20分に、折り返し地点の安蔵森林公園に到着です。

安蔵森林公園 - 1 (1).jpeg

ここでは15分の休憩の予定でしたが、おにぎりやパンなどを食べながゆっくりと雑談。結局30分近くの長休憩となりました。

休憩 - 1 (1).jpeg
 
自由走となった帰路は、やはり他のメンバーたちのスピードに付いていくことができず、その背中が何度か見えなくなります。しかし往路と同様に、要所要所で待っていてくれたので、全ルートを最後まで楽しみながら、午後1時40分に古仏谷登山口へ帰り着きました。

背中が見えなくなる - 1 (1).jpeg

鷲峰山には、今回通らなかったコースも他にいくつかあるようです。『クマ出没』の看板を見てしまったので一人では躊躇しますが、機会があればぜひまた行ってみたいと思います。



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ラベル:トレイル
posted by との at 23:08| 鳥取 ☔| Comment(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月17日

梶原の佐渡五輪を探して山中探索


「梶原(かじはら)の郵便局から、南の方へ十分間くらい歩いた山の中に、佐渡五輪(さどごりん)と呼ばれる供養塔が一つ建っています。
近頃はあまり人々が通らない、塔谷(たんたに)と呼ばれる静かな山林の中にある、高さ二メートルほどの大きな五輪さんです。
この佐渡五輪には、次のようないい伝えがありあります。
むかし、佐渡の国から来た旅人が、ここで病気になって亡くなられました。この旅人が自分の故郷佐渡を大変こいしがりながら、亡くなったということで、村の人たちが、あわれに思って、この五輪を建て供養をしてあげました。そのようなことから、この五輪を佐渡五輪(と呼ぶようになったようです」


『ふるさと名和』は大山町と合併する11年前の平成6年に、旧名和町の教育委員会が管内の児童生徒の郷土学習資料として作成したB5版64Pの小冊子。この中で、史跡名所の一つとして「梶原の佐渡五輪」が、上記のように紹介されています。

ふるさと名和 - 1.jpeg

名和地区の梶原集落から少し入った山中にあるこの供養塔を、私は30数年前に地元の人の案内で、見に行ったことがあります。高さ2メートルもの大きな石塔は、圧倒的な存在感。人里からさほど遠くない場所とはいえ、人が入ることがほとんどない山道の先にこれがあるのは、ある意味“場違い”で、その時は非常に謎めいた印象を持ちました。

梶原の佐渡五輪(ふるさと名和) - 1.jpeg

それから数年後、あらためてこれを見たくなり、一人でここへ向かおうとしたことがあります。しかし、しばらく人の手が入らなかった山道は以前と一変。生茂る樹々に行く手を阻まれ、前へ進むことができませんでした。
その後ずっと気になっていた私は、「思い立ったが吉日」とばかりこの秋、木の枝をかき分けて山へ入って行きました。9月中旬から10月下旬の間に、5回か6回チャレンジしましたが見つけることはできず、「もう探し尽くした」と失意のまま山を降りたときでした。トレランポール手にした私の姿を見た地元のMさんが、「トレッキングか?」と聞いてきました。訳を話したところ、「石塔は(その日に私が入ったところから)もう200mほど先だが、木が茂っているので入るのは大変だろう」と教えてくれました。
この2日後、町の公民館職員I女史から私に、「梶原の佐渡五輪を見たいので案内してほしい」という電話が入ります。大山町との合併後の2010年に発行された『続・名和町誌』の編集に関わった彼女は当時、この五輪塔のことを載せたいと思い、現地までの案内を何人かに頼んだそうです。しかし、「道が荒れてしまって入れない」とことごとく断られて現地確認ができなかったため、町誌への掲載を断念したとのこと。
彼女はこのことが心残りだったそうですが、近く奈良県から来町する文化財の研究者にこれを見せたいと思い、私にヒントをくれた地元集落のMさんに電話で案内を打診したそうです。そうしたところ、「とのさんが場所を知っているので聞いてくれ」と言われたとのこと。
事実とは多少異なりますが、こういう巡り合わせが重なって11月3日の文化の日に、先遣隊の一員として現地を探索することになりました。
探索にはI女史の呼びかけで、町の教育委員会のN課長と文化財を担当するM主任、郷土史家のKさん、それにこの山の地権者のHさんも同行されるとのこと。私が同級生のY君を誘ったので、都合7人の強力な布陣となりました。

なお、地権者のHさんは先代から「盆と正月には、必ず花を供えてお参りをするように」と言われていたそうです。しかし、自分の代になってから長らく行くことがなかったのでバチが当たるのではないかと、たいそう気にしておられたとのこと。今回、我々と一緒に行くことをとても喜んでおられました。

チーム - 1.jpeg

さて当日は、午後1時30分に旧名和保育所からスタート。県道と集落道を400メートルほど歩いた後は舗装が切れ、山の中へと入って行きます。

ここから山へ入っていく.jpeg

そこから現地まではわずか600mほどですが、ほどなく道と山の見分けが付けにくくなります。

小枝をかき分ける.jpeg

トレイルランナーの末席を汚している私ではありますが、さすがにこれでは走れません。今までに沢山のトレランコースを当たり前のように走ってきましたが、それらが多くの人の大変な努力と労力によって切り開かれ維持されていることを、あらためて強く認識したしだいです。

ジャングル - 1.jpeg


森の中を15分ほど進んで現地と思われる付近に来ると、道は完全になくなってしまいました。ここからはそれぞれが、思い思いの方向に分かれて探し始めます。その直後、私が進んでいた方向とは逆の方から、「あった!」という声が聞こえました。踵を返して50mほど行くと、立ち尽くしているメンバーたちの視線の先に、見覚えのある石塔がありました。

この日、これを最初に見つけたKさんは、私が初めてここに案内された時に同行した一人ですが、当時の記憶から、山の中の平たい場所を意識して探していたそうです。



視線の先に.jpeg

文化財調査の長いキャリアを持つ教育委員会のN課長は、「大きさも形式も、今までに見たことのないもの」と驚きを隠さず、「見ることができてよかった」と言っていました。

梶原の佐渡五輪 - 1.jpeg

現地から帰る時には次に来る時に備え、N課長とI女子が、迷いやすい場所に目印となるテープを張っていました。

テープを張る.jpeg

さてその次の日曜日、私は地区のイベントがあって同行できませんでしたが、奈良市にある元興寺文化財研究所の副所長で大阪大谷大学で教鞭をとる狭山真一氏が、N課長や公民館のIさんなどの案内で、ここに来られたそうです。
石塔を見た狭山氏によれば、制作年代は鎌倉時代あるいはそれ以前。横にある割れた傘もこの塔の一部で、本来は高さが3mほどある三重の塔だったと思われるとのこと。西側には土塁の跡があることから、この石塔は単体で存在したのではなく、この一角が寺院だったと推測されるそうです。
さらに、これだけのものがあるということは、これを作らせた有力者がこの地にいたはずとも指摘されたということです。
石は言葉を発しませんが、数百年も前にこの地に建てられた謎多き石塔は、我々に色々な空想を掻き立てさせます。時空を超えた遥か彼方から聞こえてくるかすかな声に、耳を澄ませてみようと思います。



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posted by との at 06:22| 鳥取 ☁| Comment(0) | 非日常的な日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月07日

佐摩山・孝霊山・免賀手山登山(ランじゃないよ)


中学校の同級生Y君は、長らく東京でサラリーマン生活をしていましたが数年前に定年退職を迎えて帰郷し、私の近所で暮らしています。中学生の時から続けているテニスがライフワークで、今はテニス三昧の日々。また登山にも関心があるようで、大山の夏山登山道で出会うこともたまにありました。

そんな彼が、「孝霊山に登りたいけど、行ったことがあるか?」と聞いてきました。この山は大山と違って一般の登山者が登ることはほとんどなく、登山口を知っている人さえ少ないはずです。トレランのトレーニングで時々行っている私は、「もちろん」と答え、案内役を買って出ました。
ということで、晴天の予報だった10月31日(土)に二人で山へ。私にとってはめったにしない、“歩く登山”となりました。
当日は午前8時半に車で彼の自宅へ迎えに行き、それから「仁王堂公園」へ向かいます。孝霊山なら普段は家から直接走って行く私ですが、ランナーではないY君にそれを強要するのは酷なので、公園までの往復12キロは車にしたという訳です。



仁王堂公園 - 1.jpeg

孝霊山へのルートは、以前は麓北側の長田集落から電波塔の管理道をだらだらと登ってから登山道へ入るしかありませんでした。しかし近年、孝霊山西側にある佐摩山の登山道が地元の人によって整備され、その山頂を経由して登ることもできるようになりました。Y君には佐摩山もついでに経験してほしかったので、そちらから入ることにしました。

仁王堂公園から山へ入るまでは、農道と江東川の河川管理道をしばらく歩きます。この間、右手に見える三つの山を指してY君に、「今日は左手の佐摩山の登山道から入り、まずその山頂へ行ってから尾根づたいに中央に見える孝霊山へ向かう。孝霊山の山頂からは、長田集落へ向かって降りて行くのが一般的だけど距離は長い。または、右手に見える免賀手山へ降りるコースもある。こちらは距離は短いけど、連れてきたことを恨まれそうなほどきつい下りになる。どっちがいい?」と聞きました。そうしたところY君は、「きつい方でいいよ」との返事。ふっふっふっ、上等じゃあないか。

三つの山 - 1.jpeg

公園から1.6キロ進んだ地点にある『孝霊山登山口 ← 1Km直進』の看板のところから、山へ入って行きました。

孝麗山案内看板 - 1 (1).jpeg

しばらく進み、『孝霊山・佐摩山登山道入口』の標柱が見えると、いよいよ登山の始まりです。

登山道入り口 - 1.jpeg

はじめは比較的急な勾配ですが、登山道は階段状に整備されており快適に登れます。

登りはじめ - 1.jpeg

4号目あたりで、子どもたちの集団に追いつきました。この山で人の姿を見たのは、実は初めてです。聞いてみたところこれは、大山青年の家の主催事業に参加した20人ほどの小学生たちとのこと。しばらくその後について進みましたが、6号目のあたりでリーダーの指示で子どもたちが道を空けてくれたので、前へ出て行くことができました。

小学生集団と出会う - 1.jpeg

佐摩山山頂に着いたのは午前10時5分。登山道入口からここまでは、ゆっくり歩いて35分でした。

佐摩山山頂 - 1.jpeg

小さな山頂碑があるだけの、なんということもない山頂ですが、眼下には日本海に続く阿弥陀川流域の集落や田畑、海岸線に立ち並ぶ風車が一望できます。



佐摩山からの眺め - 1.jpeg

ここから孝霊山山頂までは、なだらかな尾根道を少し下ってから登り返していきました。風雨の影響なのか幹がくねくねと曲がってしまった木々が、風流を感じさせます。

曲りくねった樹々 - 1.jpeg

佐摩山山頂からちょうど30分たった10時35分に、孝霊山山頂へ到着しました。北西の方向には弓ヶ浜半島が、日本海に鮮明な円弧を描いています。

孝麗山山頂 - 1 (1).jpeg

そして視線を180°転じた南東方向には、標高751mの孝霊山より1,000m近く高い、標高1,729mの大山が鎮座していました。そういえば孝霊山は、地元で「からやま」とか「かあらやま」と言われています。その名前に繋がる話ですがはるか昔、高麗の国の神様が日本の国の山と背比べしようと、韓山(からやま)を舟に乗せて日本海を渡って来たという伝説があります。しかし、韓山よりはるかに高い大山を見てびっくり仰天し、これを置いたまま帰ってしまわれたそうです。
この日、Y君と私は高麗の神様を慌てふためかせた大山の勇姿を、同じアングルから眺めていました。そう考えると、なんと痛快なことでありましょう。



大山の勇姿 - 1.jpeg

さて、そうして時空を漂うかのような夢想に浸っていた私ですが、元気な子どもたちの歓声が、そんな気怠い空気を一変させます。私たちより少し遅れて、子どもたちも山頂へやってきたのです。さほど広くない山頂は、これで一気に密状態。子どもたちは、大山町や、米子市、安来市などから参加していたようですが、それぞれが引率のスタッフに自分の家の方角を尋ねるなどして、大はしゃぎでした。

小学生たちも山頂へ - 1.jpeg

その後、子どもたちの集団が往路と同じ佐摩山の方へ帰って行くのを見届けると、Y君と私はこの日のコースで最も手強い、免賀手山へと進んでいきました。雨上がりに来た時は何度も滑って転んでしまった長く急な下りですが、トラロープをしっかりと握り、慎重に進んでいきます。この日は幸い、ぬかるんだところはありません。私は何度か足を滑らせたものの、かろうじて転倒は免れました。一方Y君は2回か3回転んだようですが、弱音を吐くことなく下りていきます。

免賀手山の下り - 1.jpeg

その後、少し登り返して免賀手山の山頂に着きました。この山の標高は598m。佐摩山のように登山道の路面までは整備されていませんが、きついところや迷いやすいところにはトラロープが張られたり、コース上の枝木が切り払われるなど、地元の人たちの心遣いが随所に感じられます。

免賀手山山頂 - 1.jpeg

山を下ってからは往路と同じルートをたどり、12時40分に仁王堂公園へ帰り着きました。もちろん公園では、身長8.88mの大山カラス天狗像の前に二人揃って額突き、謹んで帰着の報告をしたことは言うまでもありません。

大山カラス天狗の像 - 1.jpeg



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posted by との at 19:47| 鳥取 ☁| Comment(0) | 登る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする