2021年04月18日

『ランニングの世界 26』


『ランニングの世界』は、自然流ランニングの普及に努めている元群馬大学名誉教授の山西哲郎さんを編集責任者とする冊子です。ある走友を通じたご縁で、このほど発行された26号に私の拙文も掲載されました。
この号の特集のテーマは「明日に向かって走れ! 〜コロナ禍のランナー達」。山西さんと善光寺の栢木寛照大僧正の対談記事などの他、コロナで一変した日常などについて25人のランナーが寄稿しています。もし関心がおありでしたら、アマゾンなどでもお求めいただけます。なお、誤解の無いように申し添えますが、これで私に印税が入ることはありません(笑)
ちなみに私は、「コロナ禍の中で思う 走ることと私」というタイトルで、今まで走ってきた経過を振り返りながら、コロナ禍の中でもランニングを楽しめている日々について書きました。

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『コロナ禍の中で思う 走ることと私』  

万年ビリがフル、そしてウルトラを走るまで
 山陰の片田舎に育った私は、野山を駆け回って遊ぶのが好きな子どもでした。しかし足は遅かったので、運動会では決まってビリ。運動会の日にちが近づくといつも、「雨で中止になりますように」と天の神様にお願いしていました。そんな私なのに、どうやら走ること自体は嫌いではなかったようです。社会人としてスタートした博多では、休日になると社員寮から一人抜け出し、地理も方角もわからない街をあてもなく走り回っていました。体育の授業や運動会で必ず味わう劣等感から解放されたことで、走ることが楽しいとこのとき初めて思います。
 その後、帰郷して地元で暮らすようになってからも時々走っていたところ、町の駅伝競走大会へ誘ってくれる人があり、集落や職場のチームの一員として何度か参加しました。少しばかりでもランニングを継続していた成果か、意外にもそこでは常に上位で、時には区間賞を取ることもありました。万年ビリだった私がトップで走る日が来ようなど、誰が想像したことでしょう。
 さてそうこうしているうち、運よく郡や県の大会の1500mとか3キロや5キロ部門に出場できることもありました。さすがにその中では下位のレベルでしたが、楽しい気持ちの方が勝り、順位が悪いことを恥ずかしいとは全く思わなくなっていました。
 そして20代後半に差しかかった頃、地元でフルマラソンの大会が開催されるとアナウンスされます。それは今の「鳥取マラソン」の前身となる「日本海マラソン大会」でした。一生に一度くらいはフルマラソンにチャレンジしてみたいと思っていた私は、迷わずこれにエントリー。しかし、本番までの5か月ほどの間も5キロを超えるトレー二ングをしたことはなく、フルの走り方など知らないままスタートしてしまいます。当然ながら、10キロも行かないうちに失速。なんとかゴールへはたどり着いたものの、翌日は立ち上がることができずに仕事を休みました。笑い話のようなこの経験は、幼稚園児が大学入試を受けるに等しいほど無謀なものだったのでしょう。
 その後は、「1年に一度はフルマラソン完走」を目標にして、ぼちぼちと走っていました。しかし、30代半ばから仕事に追われるようになり、大会とは疎遠になってしまいます。10年間ほどそんな状況が続きましたが40代半ばとなったある日突然、「こんなことでは仕事だけで人生が終わってしまう」という恐怖のようなものを感じて、再び大会への参加を思い立ちました。そして、当時ブームになりかけていたウルトラマラソンにも興味を持ち、県内で開催されていた「日南おろちマラソン全国大会」に出場。これが契機となり、ウルトラマラソンにはまります。
 以降は、取り憑かれたように各地の大会へ足を運ぶようになりました。今日までに完走したウルトラマラソンは、「四万十川」や「サロマ」などの100キロマラソンに18大会36回、100キロ超200キロ未満で5大会7回、また「萩往還マラニック」や「さくら道国際ネイチャーラン」など200キロ超のものは5大会で9回になります。さらにはトレイルレースにも足を踏み入れるようになり、こちらは「UTMF」や「UTMB」など100キロ以上のものだけでも6レース8回を完走しています。もちろんこれ以外にも10キロやハーフやフルなど、ジャンルを問わずに出場しました。自分でも、「よくぞここまで」と呆れるほどです。
 ところでウルトラマラソンに出るようになると、「孤独な競技」と思っていたマラソンについての考え方が、大きく変わりました。ハーフやフルまでの場合はどうしても記録が気になり、走ることだけに意識が向きます。しかしウルトラでは、とりあえず完走を目標にしながら、コースの風景、スタッフや併走するランナーとの語らい、地元色あふれたエイド、郷土芸能や地酒も楽しめる前夜祭や慰労会などで、それぞれの地域や人との繋がりを丸ごと楽しめます。一つひとつの大会はまさに旅でありドラマであり、目に入る感動的なシーンが、大切な宝物となって記憶に刻まれました。私がウルトラマラソンの虜になってしまったのは、これが大きな理由です。

[ウルトラトレイル・マウントフジ 2015]
ウルトラトレイル・マウントフジ 2015 - 1.jpeg

コロナ禍の中で思うこと
 さて、2020年2月16日の熊本城マラソンを走った翌日に、実施を2週間後に控えた東京マラソンが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために一般ランナーの参加を除外した形での開催になることが発表されました。この日を境に、市民マラソン大会の多くが雪崩を打ったように中止や延期を決め、現時点でも2021年春頃までの大会は、その多くが中止になりそうな気配です。月に一度や二度は大会に出ていた私ですが、職場の制約もあって山陰から出ることが難しくなり、熊本城マラソン以降の10か月ほどの間に出場した大会は、近場で開催された二つだけでした。
 自粛がはじまった最初の2か月くらいは、モチベーションも上がらない中、一人で近所を走り回るだけでしたが、夏頃からは近隣の仲間たちが、数人規模の練習会やマラニックを企画してくれたので、月に一度くらいはそれらのイベントに参加させてもらいました。また、各地の大会で知り合ったランナーたちともSNSで適時、情報交換を続けてきました。
 気がつけば長くランニングを続けてきたことで、自然に知り合っていた多くの走友たちが身近に、そして全国各地にもいました。私と彼や彼女たちは、走ることが好きというただそれだけで繋がり合い、刺激し合い、笑い合える仲間になっていたのです。
 コロナが収束し、多くの大会が元のような形で開催されるようになるのが、半年後なのか1年後なのか、はたまた2年か3年も先なのかはわかりません。大会が普通に開催され、何の制約もなく出場できるようになるのが一番ですが、そうはならない間も、私には走ることを楽しめる環境があり、一緒に楽しむ仲間があり、楽しむ術も知っています。コロナ禍の中であらためて振り返ってみたとき、私は走ることでずいぶんたくさんのものを得てきたのだと、心から思います。

[コロナ禍でも走友たちと練習会] 
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posted by との at 05:59| 鳥取 ☀| Comment(0) | 走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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