郷土の偉人と言われる名和長年は、廃流先の隠岐島から脱出し小舟で大山町(合併前の名和町)御来屋の湊に流れ着いた後醍醐天皇を助け、船上山に兵を挙げました。元弘3年(1333年)に起こったこの義挙は、鎌倉幕府の崩壊から建武の新政へと繋がっていきます。この功績により名和氏は建武政権で天皇の腹心として重用されますが、1335年に足利尊氏の軍勢に敗れ、京都の地で非業の死を遂げました。
[後醍醐天皇奉迎の図(大山町役場所蔵)]
私が住んでいるところは平成の大合併で大山町となりましたが、その前は名和町、さらに昭和の大合併前まで遡ると名和村でした。今は「名和地区」と言われるこの地には、名和氏の屋敷跡や首塚など、同氏やその一族に関係する史跡がたくさんあります。その一つである「的石」は、五人張りの強弓を引き、一矢で二人の敵兵を射抜いたとされる名和氏が、弓の修練に使ったと言われている縦180センチ、横200センチの巨石です。なお、この岩の大きさについて大山観光局のサイト『鳥取大山観光ガイド』では、「縦170センチ、横150センチ」となっていますが、どう見ても横の方が長いので、私はコンベックスを持って行って実測しました。
さてこの的石には、雨上がりに陽が射した後のほんの短い時間だけ、表面に丸い的の形が浮かび上がるという逸話があります。実を言うと、私はその現象を40年くらい前に、一度だけ見たことがあります。昨秋、地域の人たちを対象としたウォーキングイベントがあり、案内役だった私はもちろん、的石の前でそのことを話しました。しかし10人あまりいた参加者の誰も、その話を信じる様子はありません。「いつか証拠を見せたい」と思った私ですが、そんな決意もいつの間にか日常の雑事に紛れ、意識から消え去っていました。
[的石]
5月22日(土)に、車で外出していた私は家の近くまで帰ってきた時、それまで降っていた雨がちょうど止んだことで、ふと的石のことが頭に浮かび、そのまま現地へ向かいます。しかし的石には何の変化もなく、いつもの通りの大岩でしかありません。なおこの時の時刻は、午前10時50分頃でした。
いったん家に帰ったのですが、直後に陽が射してきたので、「もしや」と思い、今度は自転車で行ってみます。11時18分に再び的石の前へ立ったところ、岩の表面に白く浮かぶ的が目に入りました。「やった!」と小躍りする思いで、急ぎ写真を撮りまくります。
[的が現れた(11時18分に撮影)]
しかし、的は見るみるうちに薄くなり、11時23分にはほぼ消えていました。
[的が消えた(11時23分に撮影)]
ちなみに初めて見た時は、もっとはっきりと出ていた記憶があります。この日も、もう少し早く行っていればより鮮明なものが見られたかもしれません。そのことは、少し悔やまれるところです。
ところで、この岩に水を掛ければ的の文様が浮き出るのではないかとは、誰もが考えることでしょう。私もそれをやってみたことがありますが、何も現れませんでした。他にもこれを試みたという話はたくさん聞きましたが、極めて稀に出ることがあるものの、ほとんどは失敗に終わっているようです。気温、湿度、日射しなどが微妙に関係しているのかもしれませんが、それにしても不思議なことです。
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